あ~る・で子の観察日記

やあ。今日も愛機の轟天号であっちにいったりこっちにいったりしています。

ひとは、聞きたい話を、聞きたいようにしか聞かない。ソレを知らないと、ひとから「その人の本当に言いたいこと」は聞けない。

おはこんばんちはならー!

あ~るで子です。

 

おしゃべりだいすきヒネクレ主婦のあ~るで子です。

 

情報量の多い人が好き。

自分の知らないことを知っている人に興味がある。

コチラの持った印象を裏切られると楽しさ倍増。

私の知らない分野の専門家ならではの話とか大好き。

ありふれたつまらない感想は好きではない。ドヤられると加速。

美辞麗句がならぶと完全に裏を読みはじめる。

ささいな言葉の端や、何気ない仕草からその人の考えを勝手に予想する趣味がある。

その勝手な予想がすこしでも当たるとすんごい楽しい。

ハズレてもその文脈で説明しうる傾向を、

その人の中に探して探して探しまくってしまう。わたしは、ハズしていない!! 

 

 

このように、私は、人の言いたいことを私フィルタを通して、聞いている。

私の印象や思い込み、これまでの経験、その話者との積み重ね、という

分厚い多層フィルタを通った結果を、

「その人の言いたかったこと」だと思って受け取る。

 

これは「本当にその人が言いたかったこと」と、どれほどズレてしまうのか。

そのズレは、ものすごい損失なのでは無いかと。

 

 

 

 

ここでは、

わたしが子ども達に、

何度も良かれと思って邪魔をしてしまっている話をしている気がするけど、

自分がやらかしていても気づかないのに、

近しい人がやらかしていると、

なんでこんなに、あからさまにやらかしがわかるのか。

 

 

これはつまり、

ひとはだれしも自分を客観的に見るのがとても難しいということだとおもう。

 

 

一番近しい人間関係が親子だから、ココがこじれると結構痛い。

そしてだれしも、自分自身にはそんなに意識的にはいられない。

それなのに、だれしもが他者のやらかしには敏感。これはやばい予感しかしない。

お互いに「あいつはわかってくれない」という思いがどんどん強まっていってしまう。

自分も「あいつは分かってくれない」と思われるているなんて夢にも思わない。

 

言っても分かってもらえない。

これは他人ならば渋々納得もできようが、

密接な関係の人について、諦めがつくのか。

他人ならば距離と時間が解決してくれるけど(つまり打ち捨てておけば良い)、

密接な関係の人と、こじれてしまうと距離も時間も味方になってくれない。

 むしろ、距離と時間がより一層、関係性を悪くしうる。

 

 

 

伝えたいことがあり、話しかけて伝える 

=わかって欲しい、共感して欲しい、アドバイスが欲しい、ただ聞いて欲しい

相手の返答がこちらの要望通りである

→共感してもらえた

→適した助言がもらえた

→ただ聞いてもらえた

また話そうと思う

 

 

 

理想はこういうサイクルを回して、

お互いを理解を深める事で良い関係になっていく。

 

 

 

伝えたいことがあり、話しかけて伝える 

=わかって欲しい、共感して欲しい、アドバイスが欲しい、ただ聞いて欲しい

相手の返答がこちらの要望通りでない

→わかってもらえない

→的外れな助言をしてくる

→ただ聞いて欲しいのにその人の言いたい事を言いはじめる

→反論される

二度と話すか💢と思うか、分かってもらうまで激しく主張をするか

 

主張合戦を行ったところで、互いに伝わらない、分かってもらえない。

双方共に「言っても言ってもほんとわかってくれないよね💢」って事になってしまう。

疲れ果てて、「この人には言ってもムダ。通じない」と言う考えに

いずれ到達するんだと思う。

 

 

 

いかに自分の持つ、人の意見を濾すフィルタが邪魔なのか。

自分の考えという尺度に沿った改変をくわえてしまうフィルタが邪魔をしているのか。 

 

まずはそこにきづかないといけない。

 

 

 

子どもの言う事なんて、子どもの限られた世界の中で起きている、

大人には物足りないことである事が大半。

どういう経緯でそうなって、どうなって、その先どうなるのか、

とてもわかりきっていることが多い。(ので、大人はその話を重要視できない)

しかし、子どもにとっては初めて体験することや重要な事で、

わたしに話しかけているって事は、

私に伝えたいから。私に知って欲しいから。私に共感して欲しいから。

この要求があるから、他の誰かではなく、わたしに話しかけてくれている。

私に理解されたい。聞いてもらいたい。

 

 

わたしは、話の内容にではなく、

私に話したい気持ちになっている子どもに焦点を合わせないといけなかった。

 

 

 

「砂場に穴掘って水を注いでも全然水が溜まらなかったんだよ」

「滑り台をおしまいの方向から登ったら怒られちゃった」

「〇〇君が横入りしたから注意したら泣いちゃって僕が先生に怒られてさー」

「赤い粉はナントカ回路を作るのに必要でね、これば僕の作った装置で、

あっちから歩いてくる羊をどんどん肉にする装置なんだよ!自動で動くんだ!」

「いま!いまその角を曲がりつつある車はね、5年前に全世界300台限定で発売された特別仕様車でね!!あの色は中でも特別で50台しかないんだよ!」

 

 

いろんな事を話されたけど、

なぜ水が溜まらなかったのか、本人が考える前にこたえを言っちゃったり、

なんで怒られたかの理由を言っちゃったり、

横入りする子なんてほっとけ、という子の行動の正しさを認めない助言をしちゃったり、

またゲームの話かよってガンスルーしちゃったり、

また車の話かよって聞き流したり、

してしまってきたなあ。

 

 

 

こういうやりとりを積んだ結果、どういう未来が来るんだろう。

とりとめの無い会話を楽しめる関係になるのか、

悩んだとき、頼ってもらえるか、

言ったところでわかってもらえない、と言う関係になるのか。

相手の話をきちんと聞いてないわたしの話を、聞いてくれるのか。 

 

 

まだたぶん、先が長いだろう我々親子の未来は、

今、自分が変われば、また違う結果につながりうる。

 

 

わたしは、その人の、「本当に言いたいこと」を

そのままに受け取ることができるようになりたい。

 

しかしいまのままでは、実現が相当難しそう。

だから、手持ちのお小遣いで、申し込んでみた。

 

人の話をそのまま聞く心構えと、用意と、

その方法を知ることができそうな講座に申し込んでみる。

 

 

 

 

なんでかっていうとさ!!!

通じないんだよ!私の言いたいことが、曲解されまくるの!!!

しかも悪気がゼロなんだよ!!!!

どうなのそれ!?どうなっちゃってんのよ!?

まったく、そうじゃないんだってば!!!私の言いたいことはさ!!

原型はどこにったんだよってくらい曲解されているのに!!

でもその人、私にすっごい話しかけてくるんだよ!

で、わたしにとっては全く興味のない事ばっかり超たくさん話した後で、

「はぁ~。まったく、ホント興味ないわよね。こんなに面白いのに。

なんでかしら?どうして良さを理解できないの?わかってないなぁ」っていうんだよ。

クッッッソめんどくせええええぇぇぇぇぇ!!!!

 

その人はある分野の専門家で、

その専門的なお話の端っこを話してくれているときは、

すんごい興味あるし、すんごい面白いのにさ。

 

その人が話したいことを話すために、だれの話題のどのトピックも、

自分が話したい話題にむりやり接ぎ木して、

ずーーーーっとしゃべるんだもん!!!

共におしゃべりを楽しむ、ができない事が多々あるんだもんさ!!

おはなし泥棒!トピック強盗だよ全くもう! 

 

 

 

こんな思いを、うちの子に、親しい人にさせるくらいなら、3万3千円は安い。

わたしは、わたしを改造して今よりマシにしたい。

このままボーーーーっと生きていったら絶対かたよる!!!

このまま年を重ねると、

ほっといてもどんどん頑固に、かたくなになるわけだし。

老化にあらがいたい。変化に適応できる可塑性を持ち続けたい。

話が通じる人、でいたい。

 

そんな決意表明のポエムでした。

 

 

親子の溝。夫婦間の溝、嫁姑の溝、

人と人の、溝。

 

はなせどもはなせども通じない人を卒業するために、

まだ腹立たしさが新鮮なうちに、サッサと行動しよっと。

 

人間はすぐ忘れちゃう生き物だから。

どんなことも、時間がたつと、色が薄くなっちゃうから。

勢いがあるうちに、サッサと行動しよっと。